石崎森人はいつ石崎森人になったのか。本名プレイ中の男の放浪記

初めまして。ここまで自己表現のインターフェースが増えるとそれを管理するのも大変ですね。MIXIからTwitteからブログにプロフ、2chニコニコ動画。あふれるほど自己表現の場があります。しかしそれらの使い方を一歩間違えると大変なことになります。それは実体験として俺が感じたことです。

ちょっと前まで俺はニコニコ動画で日記タグというところで無茶なネタ動画をあげてました。もちろん匿名で。しかしなぜかどこからか自分の名前が流出し、自分の本名がネット上にダダ漏れ、しかもやばいネタで広まってしまいました。おいおいマジかよ死にたくなるぜこれじゃあ就職も出来ないじゃんという状況まで追い込まれ、ただでさえ悪かった精神状態が最悪になりました。


ケツ毛バーガー事件もそうだったけど、一度ネットパブリックに自分のプライバシーが流出するとリアルな関係まで影響するのがネットの恐ろしいところです。今の時代、初対面の人のことが知りたかったらGoogleで検索するのが当たり前。だからいくら過去のことでも一度汚名がついてしまえば途方もないくらい時間をかけてもその人のパブリックイメージは汚染されたままなのである。それは有名人とか関係なく。

このことがあまり強く叫ばれないのは、一つは自分のプライバシーをさらすやつは情報弱者であるという強者の理屈、もう一つはまだまだ被害者が少ないからだ。しかし一度被害者になってしまったら自分の名前を変えたいくらい酷くつらい思いをしなければならない。

しかし今はニコ生などで自分の顔をさらすやつも出てきてるし、MIXIフェースブックなどでプライバシーがどんどんネットに広がっている時代である。これからは俺のようなネットウォッチャーによる被害者が広がってもおかしくない。


処方箋としては身近な人間にでも醜態な写メをとらせないとかから始めなければならない。しかしそんな社会息苦しくないか?誰も信じられない社会なんて。

だから俺は立ち上がる。実名を出して勝負してやろうじゃないか。
石崎森人はアンチ創価学会ではないぞ!学会員の友達だっているし、悪くいいたかった訳じゃない。アップされていた動画は、かなり見知らぬ他人に編集されている。

もはや固有名詞が汚染されたのなら、俺は自分で浄化する道を選ぶ。だから石崎森人は石崎森人になったのだ!です。


追記。
ニコ動で動画をあげていたときは、今思えば本当に無責任に生きてました。精神疾患のせいで現実感覚がなくなった、なんて言い訳はしません。無職でクズ扱いされている日々の中で、自分がこの世に存在することを叫びたかったのです。それには創価学会を批判するという分かりやすくて姑息な手段を選びました。本心では、創価学会を悪くは思ってなかったのですが、そのようなパフォーマンスをすることで、注目を浴びたかったのです。それを観た人の気持ちも考えず、本当に馬鹿だったなと思います。どのような宗教であれ、それを信じるものにとってはアイデンティティなのですから、傷つくのは当然なんですよね。そこに想像力が働かないのは、馬鹿者以外なにものでもありません。当時、あの動画を見てしまって傷ついた多くの方にお詫び申し上げます。