非実在青少年規制に対する先生方の声明

転載自由ということなので、漫画家達の声明を転載します。どうかみなさんもこの問題を多くの人に教えて下さい。



ダンス・イン・ザ・ヴァンパイアバンドの作者、環望の日記。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1437518200&owner_id=169340

僕は締め切り前で参加できなかったんだけど、今日「非実在青少年規制」に対する反対集会がおこなわれた。
その模様は知り合いの作家、井上純弌さんがblogでざっと語られているのだけれど、かなり深刻らしい。
http://blog.livedoor.jp/keumaya/
繰り返し申し上げますが、この「非実在青少年規制」は作家だけが圧迫される条例ではありません。
むしろ読者の方がダメージを受けかねないものです。なぜならこれは規制対象がポルノだけではないからです。

例えば「CROWS」。「BIOHAZARD」。「ONE PEACE」だってヤバいかもしれない。
規制する側の恣意的な判断で、つまり「自分はこの漫画、ひどいと思う」と思えば、規制できてしまう、という安直さがあるのです。

ご存知の方も多いでしょうが、以前僕はコンビニで売られるエロ漫画雑誌で連載しておりました。
その頃から規制は頻繁に行われていましたが、不思議だったのは規制の基準がやたらとブレること。
理由は簡単で、担当者が替わると規制もブレルのです。
男性が検閲(と、僕は呼んでいた)担当だと、まあ普通の常識的な規制なのですが、女性、それもポルノなどを毛嫌いしてる方が担当だと、それこそ「?」と言いたくなるくらい厳しかった。
全20ページの漫画に占める「裸のあるコマ」の割合までも言い立てて、規制される。

つまりこの国に於ける規制には明確な基準が存在しなくて、携わる人間の個人的常識、もっと言ってしまうと「好き嫌い」で決まってしまうのです。あまりに流動的で、不安定。
そのため出版社は最終的に自主規制という名の「逃げ」を打たざるを得なくなります。
ヤバそうなものは一切扱わない。
コンビニ漫画はどれを読んでも同じ内容になってしまった。
それを苦痛と感じながら描いてる作家も少なくないと思います。
僕がエロ漫画から撤退したのもこれが理由の一つだったからです。
同じ事が一般漫画や、ゲーム、アニメで起きるかもしれない。これも問題の一つです。

何よりも納得いかないのは、誰とも知らない人から、自分が好きな作品を「読むに耐えない規制すべきもの」ときめつけられ、奪われるということ。
人間の社会はお互いの好き嫌いを許容し合う多様性こそが命だと信じます。
そして言論、出版の自由はその多様性を支える最も大きなファクターです。
規制が必要なら話し合い、解決すべきだ。一方的に決めつけていいものではない。

ながながと書きましたが、もしこれを読まれた読者の方は何か発言をお願いしたい。
他人事ではありません。あなたの好きな作品を守るため。
誰に何を発言すべきか、に関しては先ほどの井上純弐氏のblogにて具体的に書かれています。
http://blog.livedoor.jp/keumaya/

僕も少年画報社を始めとする出版社の抗議文書に連名で署名する事にした他、何人かの議員に手紙を書いてみようと思っています。 

何しろ時間がない。
後で後悔したくない。

 まんが家、海野蛍の日記。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1437548280&owner_id=435281

というわけで例の「青少年健全育成条例」改正、つまり「非実在青少年」の件で
某都議に陳情&「非実在青少年」規制を考える会で都庁に行ってきました。

陳情は翻訳家の兼光ダニエル真さんが発起人で、他の参加者に
あさりよしとお有馬啓太郎開田裕治・あや、玉置勉強井上純弌田巻久雄
森奈津子、葉月博規、研太郎、速水螺旋人、楯野恒雪、長谷円野上武志
山本夜羽音霜方降造足立淳、えずろく、真銅努、さなづらひろゆき清水清
藤田貴之、巫代凪遠、菊水、鳳翔伶、こいでたく永山薫(順不同、敬称略)、
そして自分。その他匿名希望含めると計32名。

民主の某都議に陳情したんですが、ぶっちゃけその場の雰囲気からすると、
予想以上にずっと状況はヤバイみたいです。
このまんまだと十中八九この改正案は通ってしまいます。
通ってしまった後の危機感はこの辺を読めば判るでしょうし、
http://tokyo.cool.ne.jp/jfeug/siryou/togikai_eikyou.html
それに対する集会の内容に関してはこの辺にまとまってます。
http://togetter.com/li/9539

むしろ今問題なのは改正後の心配ではなく、いかに今の危機を乗り越えるか。
通ってしまったらどうなるって危機感もいいけど、
とにかくまずは条例を通してはならないという危機感を持たないと。
都議会内では民主、共産、生活者ネットで腹の探り合いをしてるらしく、
反自公が全然まとまってないっぽいです。
特に民主内に反対を云いづらい空気があるみたい。
民共生が全て反対に回らないとこの改正案は通ってしまいます。

というのも国会議員に比べて都議会議員はこの問題について不勉強だと
その陳情した某都議も認めてましたし、ぶっちゃけ都議会内ではこの条例改正が
表現の自由の侵害になるかどうかも把握してない都議が多い模様。
改正反対=児ポ法に反対と取られるのを怖れてるみたいです。
ここで「某都議」という書き方をしなきゃならないとこからも、
民主内での反対派への空気が感じられます。

じゃあ我々に何が出来るかといえば、その陳情の場で出た意見では
民主党の国会議員に陳情すること。
国会議員は児ポ法関連で事の次第を把握してる人が多いので、
その国会議員の方から都議に進言してもらうのが一番なんだそうで。
それと、出来れば女性、それも子供のいる主婦からの意見は効果的だそうです。
改正反対=ロリコンという図式が根底にある人々ですから、
男性からの反対意見よりもそちらの方が聞き入れてくれるだろうという意味で。

とにかく、今週の木曜には改正案の是非が決まってしまいます。
あと三日で何が出来るかをまずは考えないと。
具体的な活動方法についてはここにまとまっています。
http://hijituzai.ehoh.net/
付け加えるなら、都議よりも都の国会議員に、
子供のいる女性が陳情するのが効果的。

 まんが家、あさりよしとおの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1432368400&owner_id=178148

現在、東京都では第二の治安維持法を制定しようとしております。

「俺が気に入らないんだから、貴様、有罪。投獄。」

という、全然法律にもなっていない法律。
正しくは条例だけど、法は法。


実際問題「ガキの分際で、エロ本読んでんじゃねぇ!」で済む話を、針小棒大、さも大変な事のように喧伝して、科学的根拠全く無しの思い付きで、とにかく『自分の気に入らない奴は有罪』という言語道断の法の成立が罷り通ろうとしているのです。


>一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

>二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
(略)

もっともらしそうだけど、内容は何の線引きにもなっておらず、権力の行使側が「そうだ」と言ったらそうなってしまう、曖昧を通り越した出鱈目が並んでいる事がわかるはず。

非実在青少年」って何?
要するに、架空の存在でも、その振る舞いが為政者の気に食わないと『有罪』って書いてあるのですよ。

そんな杜撰かつインチキで、極め付けに危険な規制が始まろうとしているのです。
これはフィクションの世界じゃないです。今の東京都で、実際に進んでいる出来事です。


自身、こんな阿呆な話は、一部はねっ返り連中のアジだろうと思いつつも、パブリックコメントで「さらっと考えても『違憲』だろ。こんな事を審議している事自体が有害であり、税金泥棒だ」と送っておいたのだが、どうも都議会には、そういう道理のわかる、まともな人間が少数派だったらしい。

かなり危機的状況です。

問題を直視して下さい。
そして、まだ知らない人には、教えてあげてください。

                                                                                                                                            • ..

東京都青少年健全育成条例改正案あるは「非実在青少年」

今日は東京都が行おうとしている条例改正、青少年育成条約についての反対集会に行ってきました。パネラーの方達の話の面白こと、場の熱気、凄かった。倒れるかと思ったよ。



この条例、一見なんだかよく分からないのだが、ものすごく簡単に言ってしまうと「18歳以下に見える男女の性行為などを例え二次元でも描いちゃダメですよ」という条例

突っ込みどころが多すぎてネタかと思ってしまう条例なのだが、アグネスチャンが国会でやろうとしていることを東京都の条例でやってしまおうという案なのだ。

首都である東京都でこのような二次元規制の条例を作ってしまうということは、ほぼ全国で禁止されてしまうということと同じである。なぜなら出版社は主に東京都に集中しているし、なによりコミックマーケットは東京ではないか。

国会で通らなそうだからもっとミニマムな都条例でやろうとしていることは策略としては上手い。このような形ならひっそりと通せると思ったのだろう。


だがしかし我々は立ち上がったw

まぁどれだけ抑止力があるか分からないが、とにかくこれは憲法で保障されている表現の自由の侵害である。
東京都、ひいては国はここ何年かであらゆる嗜好品を規制してきた。脱法ドラック、幻覚キノコ、マリファナに似た草なんか出るとすぐ規制だ。その他にも十代の10時以降の外出の禁止、風営法の改正によるクラブの12時以降の営業の禁止。

まぁとにかく自分が十代の頃に比べるとかなりつまらない世の中になってきたと思う。
石原慎太郎や国会議員達はそうした方が票が取れるからなのか、それとも純粋にお馬鹿な正義感でやってるのか知らないけど、どんどん魅力の無い世界にしてどーすんだってんだ。

人間は不健全なものなんだよ。それを規制によって健全化しようなんてそもそも無理な話。アンダーグラウンドに流れるだけなんだから。

可視化という言葉が最近注目されているが、アングラにしたくないなら規制なんてしてはダメだ。人間の欲望は必ず地下に潜る。可視化なんてますます遠のいてしまうではないか。

その結果、ヤクザや危険を冒しても平気な連中を増やすだけだ。


ロリコンを根絶出来るんだから世の中平和になるだろ?」とこの改正条例を聞く普通の人は思うかも知れないが、そんなことは絶対にない。欲望のはけ口を失ったロリコンは現実の児童に向かうかも知れない。その方がよっぽど怖いわ。
まぁ二次元でしか起たない男子は増えるかもしれないけどなw


最後に経済的にもコンテンツ産業自体を骨抜きにされかねないこの条例は国益にも反している。これだけ日本の漫画産業が発達したのも、不健全な漫画を多くの人が描いてるというピラミッドの大きさゆえである。


とにかく、絶対反対だぞこの条例。
この条例に賛成の議員には今後絶対票を入れない。



でもこの「非実在青少年」って面白い言葉だよな。
俺は非実在ニートですみたいに流行りそうだw

生徒会の一存 感想とか批評みたいなもんだったり。

空気系、あるいは日常系アニメと言われる「生徒会の一存」アニメ版を全話観た。
このアニメは生徒会室でヒロイン4人と主人公の5人がぐだぐだとだべり続けるだけと言える箱庭型アニメ。らきすたをさらにスケールダウンして、なんと生徒会室から出るのは東京に合宿に行く話だけ!という箱庭感あふれる作品です。

とにかく、まず主人公が生徒会室に入った途端の第一声が「みんな大好きです!さあみんなでハーレムエンドを目指しましょう!」みたいなことを言うところに衝撃を受けた。

ギャルゲーとかハーレムものの作品って、主人公の周りには女の子がたくさんいて、すでにハーレム状態なのに、覚めてるというか異常に鈍感で、それについての言及がほとんどされていない。それに対してこの主人公は最下位だった成績を学年トップにしてまでハーレム状態の生徒会に入る根性が素晴らしい。宇野さん的にはまさに決断主義だな。


だってどー考えても普通のハーレムものアニメの主人公はその状況と言うだけで幸せすぎて死んじゃうレベルな訳で、物語を構成するにあたって主人公を鈍感にするしかない、という悲しい現実があった。しかしこのアニメはその前提を覆す衝撃をもって現れたことに自分は衝撃を受けた。まるで80年代から90年代前半にかけての主人公オラオラ系の再来だとも思ったね。でも、この生徒会の一存はそんな単純ではない。
主人公がなぜハーレムエンドを望むのかという一本の人生経験があり、それによって一人を愛するというものではなく、ハーレムを目指すというただのエロさではない裏付けがあるのだ。


ちなみにこのアニメはオタク的なネタが豊富で、分かる人には分かるネタが豊富に含まれている。しかもエッジが効いてるのがいい。また主人公達もある種のキャラクター化された現代高校生であり、メタ的な要素もある。まさにこのアニメを享受している層が普段行ってそうな行為がメタパロディとしてちりばめられているのもこの作品の魅力である。主人公がゲームと現実の区別がつかないふりをしてネタとするところとか、なんかリアルにあるもんなぁ。

もちろん、現実にはこんなゆるゆるで美少女ばかりの生徒会なんて存在しないのだけれど、でも私たちは小さな人間関係でこんな掛け合い漫才みたいな形で日常を生きている。そういう意味で、この作品は日常+願望といういいバランスのフィクションではないだろうか。

気に入ったのでみんなにお勧めします。12話構成で短いしね。

生徒会の一存 第1巻 限定版 [DVD]

生徒会の一存 第1巻 限定版 [DVD]

あかねと宇野常寛氏とオトナアニメ


早稲田周辺のフリースペース居酒屋「あかね」行ってきた。
この店はコアだから凄くいい。飲んで食ってだべって550円だったしね。
フェリス女学園の異次元世界の話とか聞けて今日も楽しかったぜ。

今日買った本。主に最近ノリノリの宇野常寛さん関係の本だな。
これから読むけど、読みたいもん観たいもん沢山あって大変だ・・・。

ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力

社会は存在しない

社会は存在しない

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

[rakuten:book:13299091:detail]

最後の雑誌はなんとなくw
あーぬるいアニオタですよw

今日、高円寺は大パニックに陥っていた!!!!2月27日

今日は「高円寺大パニックデモ」に行ってきた。
デモって言うと政治思想の詰まったお堅いイメージがあるが、この素人の乱がやってるデモはお祭りだ。路上を盛大なパフォーマンス場にしてしまい、みんなで面白おかしく盛り上げようぜっていう移動するライブ場みたいなもんだと思ってくれればいい。

特に今回のデモはパンクバンドを載せた車を先頭にみんなでポコダンスしたり叫んだりして超盛り上がった。高円寺という街は素人の乱松本哉さんが現れてから日常的にこのような祭りが行われる場になった。高円寺に住んでる人はどういう心境なんだろうねぇw

ともかく叫んですっきりしたり、そんでもってちょっとこの社会の歪みを意識したい人がいるならぜひ素人の乱の開催するデモに参加してみるといいよ。俺も一緒に行ける友達増えると嬉しいし(こういう人的ネットワークの広がりもこういう活動の楽しみ)
それといかに警察がこういう活動をコントロールしているかという驚きも知れるしね。凄いぜ警察の数。

まぁなんか今回は一応警察に対する抗議という一面もあったはずなんだけど、そういうのどうでもいいや、っていう皮膚感覚が今の新しい形のデモって感じで好きだな。

そういや雨宮果凛さんとか外山耕一さんとかいて少し話した。


こういう形のデモは単なるガス抜きであり、政治的にはなんの意味もないと言ってしまう人は沢山いるだろう。若者のお遊びだと。しかしそうなるとなんにもしないって選択肢しか無くなってしまう。こういう政治的に実行力があるかどうかより、門口を広げてくれている活動家がいることに希望を感じる。

ゼロ年代のすべて 読んだ。


2009/12/31 第二次惑星開発委員会


ゼロ年代とおさらばするために書かれただろうジャンル横断型の批評本である。
ゼロ年代カルチャー総括座談会なんかは美術からTVドラマまで網羅しており、この編集長の宇野常寛氏の幅の広さには驚き以外なかった。90年代が宮台真司ゼロ年代東浩紀、そして10年代が宇野常寛と言ってもいいのではないだろうか。もっと彼が活躍して欲しいと思った。

90、00の代表である宮台、東両氏は載っているが、柄谷行人など80年代の代表者は一人もいない。ほとんど70年代、80年代生まれの論者が書いている点も注目すべきところだ。

新しい才能が掘り起こされて、批評というニッチな場所を広げて欲しいと思った。
もっともっとこの世界の面白さを共有できたら世の中は豊かになるだろう。

それにはジャンルをまたぐ衝撃的なカルチャーの出現が必要だろう。

新文学01 感想とか自殺とか

ペンは険より強し、いや、険があるからペンが強くなるのだ。


今更になってしまったが新文学01を読んだ。天野年朗×松平耕一の08年創刊の同人誌だ。
前半の天野パートではライトノベルの文学の可能性について書いており、後半の松平パートではゼロ年代学生運動について書いてある。


天野パートで面白かったのが、ツンデレは萌え系における主人公におけるライバルだということ。ライバル不在の萌え系において、ツンデレという拒絶、受容するという関係はまさにライバルキャラクターであり、それによりストーリーが成り立つという解釈をした。これは確かに面白い。

また黒瀬陽平氏の「釘宮理恵はなぜ偉大か?」というテクストも面白い。声優は声を吹き込む「演技」を超えて、すでに声優自身がキャラクターになってるという視点は映画、演劇、ドラマでは普通に享受されていることがアニメ絵を通すことによって見えにくくなってることに視座を与えている。これはもっと議論されるべき話題ではないだろうか。

清水健朗氏の「オタクもスイーツ(笑)も情報に流されやすいという点では同じ」という意見は同意だ。相互にいがみ合ってるのは同族嫌悪か?


松平パートの秋葉原殺傷事件の加藤容疑者から出発する現代の学生運動のありかたについてはとても興味深く、そして大変面白く読めた。
法政大学の「反筑波化運動」などまったく知らなかったことだが、アーキテクチャ化され、動物化されている現代の学生に対してのアンチテーゼとしての運動というのは、はっとさせられるような問題意識だと思った。自分の通っていた和光大学も環境管理によるカオスな空間が徐々に秩序へと変化し、和光大学の伝統的な逸脱した面白さが減っていったのを実感した。それにより自分より下の学年がさらに「逸脱した面白さ」を求める人たちの入学が減って、大学全体のパワーが減ってしまったということがあった。浅原の娘を入学拒否したことにより、より大学の寿命は縮んだことだろう。

話を新文学に戻すと、今行われている学生運動のあまりの社会的影響力のなさに大学側の努力の成果を感じてしまった。いかに学生を押し込めるか?そこに学問が使われていたのは間違いない。技術や学問をどう使うかによって人間を工学的に管理することが可能だということを大学は証明したのかもしれない。


最後に松平氏のライトテロルへの見解は共感を覚えた。2ちゃんねるは立派なライトテロルである。

ここからは自説であるが、テロルとは元々「恐怖的」という意味であり、直接暴力を指すのではない。一年で三万人が自殺するこの日本では、テロが自己に向かっている。これを他者に向けることによって、しかも暴力という手立てではない恐怖を使うことによって社会を動かすことは可能でないだろうか?

これから自殺を考える人は、自己と社会の関係性を考えるべきだ。そこにはかならず自分を追い込んだ社会的な要因があるはずだ。「死」は自己にとっては唯一性のものだが、他者からすればそれは社会に偏在する一問題に過ぎない。死んだって何も変わらない。変わるのは社会に悲劇性が蓄積されるだけである。

だから死ぬんだったらライトテロリストになってもらいたい。暴力ではなく、劇場型パフォーマンスで。遺書をニコニコ動画で流して欲しい。昔、運動会をするなら自殺しますという事件が多発したが、あれは立派なライトテロルだ。自傷の欲望を昇華しろ。抑圧を粉砕すべし!


途中で脱線してしまったが、新文学01は読むべき価値のある同人誌である。
ぜひ模索舎等で買っていただきたい。
新文学02はさらに内容が過密になって面白いので、そちらもどうぞ!

http://literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-376.html
http://q.hatena.ne.jp/1128784395